My Feeling, Your Feeling

「……分からないものね」
 部室へ向かいながら、なんとはなしにそんなことを呟いていた。
 廃校の危機——それに対して自分が何を為せるのか、あるいは何かを残すことが出来るのか。
 すべてを自分でどうにかしようとして、空回りして、他人を傷つけて、周りからすれば、失敗ばかりを繰り返しているように見えたはず。
 それでも、そんな自分を見守ってくれた希がいて、手を差し出してくれた穂乃果たちがいて。
 ——本当、助けられてばかり。
「今更だけど、穂乃果に何かを言う資格なんて、なかったのよ」
 誰に責任が、なんて言葉で片付けられるはずもないあの騒動は、きっと自分にもその一端があったのだろう。穂乃果だって、自分と何も変わらないただのひとりの女の子なのに、その背中にすべてを預けてしまっていたのは間違いない。
 穂乃果、海未、ことり、それぞれがそれぞれの想いをぶつけ合うことで、今回は乗り切れた。でも、いつだってそううまくいくとは限らない。
「しっかりしないと、ね」
 全部を抱え込む必要はないけれど、見失ってはいけないことがある。それだけは忘れないように。
「——あ」
 そんなことを考えつつ、辿り着いた部室のドアを開けると、そこにはにこの姿があった。
 ……彼女ひとりだけが、そこにいた。
「早かったのね」
「ええ……今日は希が仕事を引き受けてくれて」
「ふうん、そう」
 それきり、会話が途切れる。
 思えば、μ'sに参加するようになってから、彼女と2人きりになるのは初めてかもしれない。
「……」
「……」
 どこか気詰まりするような空気。
 原因は言うまでもなく、私だ。ここに至るまでに、私が彼女たちにどう接してきたか、それを思えば当然だと言うしかない。
「にこ、飲み物でも買ってこようかなーっと」
 そんな空気を振り払うように立ち上がる彼女。
 だけど。
「待って!」
 どうしてだろう。
 今しかない、と。
 そんな気がしていた。
「あなたとはちゃんと話したい。ずっとそう思ってたの」
 私の勝手な思い込みかもしれない。だけど、見ない振りをしてやり過ごすことはもうしたくなかった。
「話って何? にこには別に」
「……お願い、待って」
「分かったわよ」
 余程追い詰められた表情が出てしまっていたのか、普段ならこういう場面を軽やかにかわしてしまう彼女が、真剣な表情で椅子に座り直していた。
 ——やっぱりやめようか。
 ふと、そんな思いがよぎる。
 きっとこのままでもそれなりにうまくやっていくことは出来るし、もしかするとこれはただの自分の自己満足かもしれない。
 だけど、それでも話しておきたかった。
「希からもう聞いてるかもしれないけど、私からちゃんと話しておきたくて」
 私の気持ち、彼女の気持ち。
 ワガママでもなんでも、このままにしたくはなかったから。




「……だから、ごめんなさい」
「もう、何よそれ。にこの方が悪者みたいじゃない」
「その、そういうつもりじゃ……」
「——いいわよ、別に」
 思わず息を呑んだ。
 いいはずなんて、ない。
「そりゃ、全部水に流して忘れましょう、っていうんじゃないわよ。にこもそんなにオトナじゃないし?」
 嘆息まじりの台詞だけど、彼女の目は決して笑っていない。
 でもそれは仕方のないことだ。自分の言いたいことだけ言って、それで許してもらおうだなんて、虫の良すぎる話。向こうにしてみれば、何を今更に違いない。
「でもね、ここで絵里に謝らせて、それではい許してあげるーって言って、何か変わると思う?」
 返す言葉もない。それだけのことをしてきたんだから。
「それに、にこだって知ってるの」
 でも、そんな私の様子をあえて無視するように、彼女は続けた。
「アイドル研究会、潰さないでいてくれたの、絵里なんでしょ」
 規定の人数以下となってしまっている部活動を廃止する。
 確かに、それは自分の中にあった考えの一つだ。
 校内の活気や成果を打ち出すのに、部活動はうってつけ。なら、ただでさえ少ない生徒数をさらに分散させるのを避けるため、有力なそれに人を集める、そんなふうに考えたこともあった。
「それは希が……」
 学校がいったい誰のために存在するのか、それさえ見えなくなりかけていた自分を、やんわりと、しかしはっきりと止めてくれたのは彼女だった。
『なあ、みんなが入りたい思う学校って、どんなんやろな?』
 あの時は答えられなかったけれど、今ならその答は私の中にある。
 それはきっと、自分たちが自分たちらしく居られる場所だ。
 定められたルールはあるけれど、押しつけられたそれにただ従うのではなく、その中でそれぞれが好きなことで輝ける場所。
 だからこそ、今、私たちの前に新しい道が拓けている。
「……まあ、あのお節介焼きならそうかも、ね」
 余計なお世話よ、そうぼやく彼女の姿は、けれど本気で嫌がっているようには見えない。まったく、どこにいても希は希らしく、誰かの背中をそっと支えている。時々どこまで本気か分からなくなることもあるけれど、そこまで含めて、彼女には世話になりっぱなしだ。
「だけど、最後に決めたのは会長であるアナタでしょ?」
 違う?、そう問いかけてくるにこ。
 どうなんだろう。あの時の私は、そこまで周囲のことを考えられていたんだろうか。
「だから、そういうことよ」
 知らず、目を伏せてしまった私に、そんな言葉が投げかけられる。
「何もかも全部、自分の思い通りにいくなんて思ってる方がおかしいに決まってるじゃない。誰だって間違えるし、失敗もするの。……にこだって」
 その先を彼女は口にしなかった。けれど、胸をつくようなその響きに、はっとして視線をあげた私の前で、にこはほんの一瞬、複雑な色を帯びた表情を見せた。
 思えば、かつての彼女のことを、私はあまりよく知らない。ただ、スクールアイドルをやろうとしている人たちがいて、それがいつの間にかお流れになってしまっていた、そんな断片的な情報だけ、しかもそれすら気にかけていたかはあやしいものだ。
 でも、だからといってそこに何もなかったはずはない。
 きっと誰もが夢を試されて、時に傷ついて、それでも前を向こうとしている。
「だから」
 迷いを振り切るように、その一言を噛みしめて、けれど彼女は微笑んで見せた。いつもの強気な顔で。
「にこはもう、諦めない。何があってもやりたいことをやるし、行きたいところに行くの。誰にも邪魔なんかさせないんだから」
 そう、いつだって彼女は真剣なのだ。それはまあ、ちょっとどうかな、と思う部分もないわけじゃないけれど、それでも、誰より長くその場所を目指し続けてきたのは、間違いなく彼女だ。
「……そうね。私もそうありたい……ううん、違うわね。そのためにここにいる、のよね」
 差し出された手を取った時。
 もう目を逸らさないと誓ったんだ。
 私のやりたいこと——それは、ここにある。
「あったり前じゃない。あんまりバカなこと言ってると、本気で怒るわよ」
「ごめんなさい、今のは私が完全に悪かったわね」
 分かればいいのよ、心底呆れたという顔でそう返す彼女に、自然とその言葉が出ていた。
「ありがとう、にこ」
「っ……はいはい、どういたしまして。おだてたって何も出ないわよ」
 何かを誤魔化すように、ぷいと横を向き、明後日の方向にそんなことを言いながら立ち上がる彼女。もしかして、こういうのを可愛げっていうのかしら、なんてどうでもいい考えが浮かぶ。……でも私には似合わない、わよね。うん。
「さあ、今日もばりばり練習あるのみよ!」
「ええ。折角やる気になってるようだし、今日はダンスのレッスンをちょっと厳しくしてもいいわよね」
「……うーんとね、にこ、そういうのは段階っていうのがあるかなーって」
「アイドルは泣き言なんか言わないものなんでしょ?」
「それとこれとは別っていうか!」
 もうまるっきりいつも通りのにこに様子に、なんとなくおかしくなる。
 そう、何もかも分かり合うことは出来なくても、こうやって同じ時間を過ごすことは出来る。
 私は私らしく、彼女は彼女らしく、目指す場所は少しずつ違うかもしれないけれど、今この瞬間を抱きしめて。
 明日へ、走り出そう。