もう七月だからいいじゃんかよ

さすがに六月が真の締切だったんでしょう……?
締切次郎さんはもうおらんのや……



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「それじゃ、いいか?」
「ええ、どうぞ」


 先輩と二人、静かに向き合う。どこか剣呑な空気に、どちらともなくごくりと喉を鳴らす音。
 そして。


「せーの、どん!」


 そんなかけ声に合わせて、手元の紙を相手に突きつける。


「三桁、ですか。感想書いてそれなんてさすがです」
「いやいや、君の90とかの方がおかしいよね? 僕はマンガも入れてるのにこれだからね?」


 はふう、と溜息。
 そう、今日は月一恒例の、あなたは先月何冊読みましたか、を確認する日。とはいっても、別にサバを読もうがどうしようが、その辺は好き勝手のゆるい話なんだけど、なかなかどうしてきっちり数字を出してみせる僕らなのでした。……こう、あらためて見ると何やってんだろう、そんな気分にもなるんだけど。


「それだけきっちり感想書いてる人の方がすごいです。僕は読み散らかしてるだけだし」
「あれは書かないと次が読めないだけって言うかさ……」


 ちょっと困り顔になりつつ、でも、と先輩は続ける。


「インプットだけだと大変じゃない? はき出さないとたまってくだけだし」
「まあ、そうなんですけどね。だけど、その『たまってく』のも楽しいじゃないですか」


 自分の中に、それまで知らなかったものが実感を持って増えていく。ときにそれは交錯し、混じり合い、そこにまた新しい物語が産まれる。もっと遠くまで行けるだろうし、行きたい——そんな気持ちは、これまでずっと変わらなかったし、きっとこれからも変わらない。


「はき出さなくても、飲み込んで消化しちゃえば、その先に新しい別の何かがあったりもしますよ」
「その先、ね。まあ、君らしいっていうかなんていうか」
「夢見すぎってのはわかってますよ? でも、やっぱりお話のない生活って、僕にとっては嘘ですから」


 そこまで言えちゃうのはうらやましいよなあ、と苦笑する先輩。
 ……いや、まあ、たいがい恥ずかしいこと言ってるのは自分でもわかってますけど! でも他の誰に聞かれてるわけでもないですし! そもそもこんな話聞いてくれるの先輩だけだし!


「でもさ、それならいっそ自分で書いてみたいって思わないの?」
「……はい?」
「いやだからさ、君が、自分で、お話を」


 僕が、書く……?
 そんなこと全然考えたことがなくて、なんだかびっくりしてしまった。だって、この僕が、ですよ?


「ないないない、ないですよ。そんなの無理に決まってるじゃないですか」
「そう? やってみなきゃわかんないと思うけど?」
「えぇ……」
「僕は読んでみたいけどなあ」


 う。そんなまじまじとこっち見つめないで下さいよ!


「だからダメですって! そ、それじゃ今日はもう帰りますから!」
「ちょっ、おい待てって!」


 待ちませんっ! それじゃっ!
 ——思わず逃げるように飛び出してきてしまった。だって、まさか、ねえ? 読むのと書くのはきっと大違いだし、そんなに簡単に書けたりしないから、これだけお話が好きなわけで。
 でも。


「僕の、物語」


 もし。
 もしも、僕がそれを書くとしたならば——




「で、出来たのがこれ?」
「……はい」


 翌日。
 どういうわけか、先輩の前にどさっと原稿用紙を提出している僕がいた。
 え。なにそれ。どこの月島さんなの、と我ながら突っ込まざるをえない。
 しかも。


「あのさ、この登場人物って……」
「実在の人物とは一切関係ありませんよ! それはもう全然! ちっとも!」


 気がつけば、紙の上で踊っていたのは、僕がよく知る人たちに似て非なる何か、だった。いやどうなんだろうこれっていうか……怒られ、る?


「まあよくやるなあ、って思うけど。しかも君これ、なんなの? 乙女なの?」
「うう……」


 くつくつと笑う先輩は、どこからどう見てもいじめっ子でした。自分が悪いんだけどさ……


「でも、いつも言ってるよね、僕」
「……え?」
「『面白いは正義』だって。だからいいんじゃないの? これも」
「先輩」


 不覚にも、なんかぐっときてしまった。先輩なのに。あの先輩なのに!


「というわけで、早速ばらまくか」
「っ!?」
「だってこれ、僕が独り占めするのもったいないじゃん。いくらでも広めてくれるヤツらいるしなー」
「なっ……せせせんぱい! 世の中にはやっていいことと悪いことが!」
「だーかーら。面白いは正義、なの!」


 ふはははは、と安っぽい悪役みたいな笑い声と共に駆けていく先輩。……知ってる、こうなったらもう止められないって知ってる。後悔先に立たずとか、後の祭りとか、そんな言葉が手に手を取って頭の中で踊り狂っている。うぅ……


「……こうなったら」


 うん、そう、こうなったら。


「書くしか、ない」


 そうだ、先輩がもうやめてくれと泣いて頼むまで、書き続けないと。そうでもしなきゃ、もう取り返しなんてつくはずもない。
 さあ、そうと決まったら。


「ばりばりやるぞ!」


 ——こうして、僕の大変間違った創作の日々は始まったのでした。
 後々、この日のことを散々後悔する羽目になった、なんていうのは言わないお約束で。いや本当に。頼むから。ね?



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かくして、「まあ!」が世に解き放たれた。
 ※言うまでもありませんが嘘です