『キラク堂顛末記 漆黒の人形師と聖なる獅子』(佐々木禎子)

キラク堂顛末記 漆黒の人形師と聖なる獅子 (ビーズログ文庫)

キラク堂顛末記 漆黒の人形師と聖なる獅子 (ビーズログ文庫)

神さまと人間。
求め合うこともあれば傷つけ合いもする間柄、そしてその仲立ちをする存在。
あるべき姿、という問に解答はなく、故に誰も迷いながら進んでいく。
その道行きの一場面を切り取って、でいいのかな、たぶん。
ある意味で潔く、一つエピソードを終えたところで完結のシリーズ二作目、でした。
この辺はあとがきにずばりなことが書かれているので、素直に納得。
踊り場はあっても最上階はない、階段は続くよどこまでも。


引き続き全方位から愛される潮くんでありました。
見守る人、見てらんないと手を引く人、ただ並び立つ人、それぞれですが、ともあれ彼はとてもいい環境にいて、その中でちゃんと腐らずどうにかこうにか前を向いているから、愛されるのももっともな話。
天然たらし属性に関しては、ずっと苦労するだろうねあっはっは、ですがそれはそれ。


お話そのものは、前回を引き継いでランダがいるんなら、とバロン登場。
なかなか面白い扱いで、性質も単に善の神かといわれたらどうなんだろう、というそれですが、そこら辺はこちらの固定概念みたなのもあるんだろうなあ。
八百万の神々はある意味現代ではあまりに身近すぎて、荒ぶったり理不尽だったりするものは悪神に見えがちですが、本来それは人の意に沿うだけのものではなく。
見方次第で善悪なんて変わるものだし、そのために仲介者もいる。
ただ、そこは折り合いつけてやっていきましょう、ではなくて、信じてやっていきましょう、というそのスタンス。
甘くて青い、でも決して悪くはない。


たぶん、ではなく、絶対に彼は苦労する。
するだろうけれど、やさしくてあたたかい世界と未来を、夢見るでも与えられるでもなく、作ろうと踏み出すその一歩は眩しくて価値がある。
きっと、転んだり傷ついたりしつつも、支えられたり支えたりしながら、道は終わる場所まで続いていく、のでしょう。
たどり着けるかどうか、ではなく。


……とはいえ、欲を言えばマスコット化した「それゆけ!バロンさん!」な感じのが見たかったなあ、という気も。
いやだって、あれそういうキャラじゃない?
神さま的に不遜だし、性質的に基本自分は最後の始末だけだし、見た目アレだし。
もふもふ王。